『疑心暗鬼の手放し方3step』

みなさんご承知の通り、コロナパンデミックに対し発令された7都道府県の非常事態宣言が、ついに先日日本全国に対し発令されました。その結果、これまでの主要都市主体であったコト、モノ、ココロへの様々な負の影響が、更に全国に広がってきています。そこで今回は社会不安がその原因にもなる、心や感情の問題とその解決策について考えてみたいと思います。

100年に1度の緊急事態になると

社会的ポジションにより目に見えるダメージは人それぞれでしょう。とはいえ毎日繰り返されるコロナ絡みのネガティブなニュース、自粛を促すTVの番組やCM、実生活での家庭内や街の変化に、えもいわれぬ不安感を持たない人はいないでしょう。そうなるとついつい表面化してくるのがネガティブな感情です。
特に「疑心」
安心できない政府の対応や急変する人間関係、最近ではマスクをしていない人を見るだけでも、それまで感じたこともなかった不安や疑心が心をよぎるという人も多いのではないでしょうか?

疑うことを知らない私

幼いころから母に「騙されるより騙されろ」と口癖のように言われてきた私は、生来の単純素直な性格も相まって、未だに人を疑うことが苦手です。ですから他人から見れば騙されているような状況であっても、私だけそれに気が付かないなんてこともあるのです。先日も恥ずかしながら、見知らぬ外国人からの英文の問い合わせメールに対応しているうちに、危うく現金を送金しそうになるほどです。

疑心は必要?!

話はそれましたが、普通に社会生活をしていれば、時として疑心は湧いてくるものです。勿論それは至極当然なことで、自己防衛の為には必要な機能です。更に、日本人はとかく性善説で人間関係を築こうとしますが、グローバル化する社会ではそうも言っていられませんし、ましてや現在の非常事態下での疑心は必要不可欠なことなのかもしれません。

それでも疑うのは嫌だ

前出のように単純な私であってもそのくらいの理屈はわかります。が、それでも人を疑うことに抵抗を感じる私もいるのです。そんな時、何故だろうと心を鎮めてみてわかったことがありました。
それは「疑うと苦しい…」ということです。
不信感、警戒心、猜疑心、どれも心に留めて置くことは結果として苦しみを生みます。仏教の根本煩悩〈貪・瞋・慢・無明・見・疑〉からも疑心は手放すべきものだということがわかります。

疑心の手放し方

では心に生じてしまった疑心はどのように手放せばいいのでしょうか?仕事で、プライベートで、日常のあらゆるところに疑心の種は落ちています。そんな種は拾わなければいいのですが、いつの間にかポケットの中に入り込んでいたりします。厄介な疑心の種、仏教的な上手な手放し方を3段階でご提案します。

①事実関係を明らかにする

当たり前のことですが、意外とこれをしないで悩んでいることがあります。可能なかぎり確認作業をして、その状況に光を指し闇を消していくことでその疑心は消えていきます。

②あきらめる

その結果それでも残る疑心に対しては、その時点であきらめる。信用できるものだけにフォーカスし暗鬼の数を減らします。つまり不確かなものを不確かであると明らかにすることで、暗鬼という闇を消してしまいます。

③相手の為に祈り感謝する

その疑心に振り回される自分の未熟さを理解し、その時々の疑心を乗り越えることが自身の成長であると腑に落ちた時、自然に感謝の念が涌いてきます。結果として、疑心を手放す以前に、疑心そのものが存在しなくなっていれば素晴らしいことです。

仏教は魂を成長させてくれる

いかがでしたでしょうか?世間には様々なコーチング理論やメンタルメソッドが存在しますが、その多くは起きた問題を解決するというノウハウ論に終始します。勿論、複雑な現代社会では様々な問題の解決も大切ですが、自分自身の魂の成長はもっと大切です。なぜなら、未熟な魂では問題になってしまう事柄も、成長した魂ではそもそも問題にすらならないからです。仏教とはそんな魂の成長を助けるノウハウそのものなのです。

世界的な社会不安が充満する今、一人ひとりの心の在り方が試されているような気がします。そんな時、既に答えとして存在する仏教を上手に活用しない手はありません。疑心によって生じた暗鬼などは立ちどころに消え去るのですから。コロナのお陰で魂の成長ができました…なんて言える日が必ずきます。

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